シャワーを出たら、タオルを持ってベッドに腰を下ろす。タオルに座ったまま、なぜか1時間が経過する。ただ天井を見つめていたり、スマホをいじっていたりするだけなのに、なぜかタオルケットに座っている時間は普通の時間よりも早く過ぎてしまう。私たちの多くがこのシャワー後の宙ぶらりんな時間を経験するが、それを口にする人は少ない。シャワーを浴びることは、従来の時間管理や生産性のガイドラインが関係ない、時間を超越した領域に入る手段のように思える。この中間段階は妙に慰めになる:まだ清潔でその日の準備はできていないが、もはや掃除の必要はない。これは、慌ただしくなりがちな私たちの生活における休憩所であり、世間に戻らなければならない前のちょっとした休息なのだ。タオルの温かさ、お湯によるリラックス効果、あるいは家事を終えた後の精神的な休止が、私たちをこの無気力状態へといざなうのかもしれない。動機が何であれ、この行動は、絶えず私たちの注意と活動を求める社会の中で、私たちが無心になれる時間を欲していることを指し示している。従って、タオルタイムに夢中になっている自分を発見しても、あまり批判的にならないようにしよう。それは単に、これから始まる一日のプレッシャーと入浴というリラックスした儀式との間に必要な緩衝材を作るための心の手段なのかもしれない。